2010年9月11日土曜日

「地域再生の罠」

久繁哲之介 「地域再生の罠」 2010年 ちくま新書

 大学の所属する研究室は「空間計画」をかかげているし、僕を雇ってくれたのは「都市設計研究所」なので、「ご専門は」と聞かれたら、そのような領域です、と答えるしかない。
もちろん、業績や実力や情熱を不問の上で、と言いたいのだけど、肩書きと本人は常に乖離するものだと思う。


 それで、上にあげたのは、地域再生について、「土建工学者」の「成功事例」のお粗末な実態を暴くという痛快な本。
 土建工学者とは、建築、土木、都市計画、都市工学の専門家たちを指すそうで、多分に敵意が込められているんじゃないかと思うけれど、批評の第一歩は好悪の感情の高まりだと思うので仕方がない。


 「成功事例」として「視察」のメッカに祭り上げられたいくつかの地方都市を、著者の「体感」から分析する。
 行政マンや専門家の言う「成功」と、市民の感じる「衰退」、評価の差はなぜ生まれるのか。
それは、地方再生にかかわる人々の、それぞれの立場、思惑のずれによるらしい。


 たとえば、大型商業施設が長く定着しない宇都宮で109の撤退をあげて、提供者側の「中高年男性」と消費者側の「若い女性グループ」の見解がひどく食い違っていることを原因に分析する。

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1、あのデブ、何聞いても「少々お待ちください」しか言えないし。
2、ていうかぁ、デブが着てもはちきれそうだし。
3、ていうかぁ、マルキュウに百均あるの、おかしいし。
4、大根売ってるし。
5、超むかつく、今度ホンモノ行こ。
---
(21頁抜粋)

 ところで、専門家も、悪意があって施策を失敗させているわけではないと思う。
専門家の人々にも事情はあるんじゃないか。
現場に入っていくのに相当の時間がかかること、効果が見えにくいこと、ついてまわる労働量が膨大であること、苦労した数少ない案件を学術成果とせざるをえないこと、などなど。

 それに、ここから先、劇的な対処策がないことについては、著者も敵陣も、懐具合はかわらないだろうと思う。
それを悲観するかどうかは別として、ひとまずは手を動かすところからはじめたいと思う次第。


2010年8月1日日曜日

青春のNHK合唱コンクール

Nコンで、母校の合唱部の伴奏をすることになりました。
僕を呼んでくれた伝説の部長に感謝。

2010年8月4日(水)
ベイシア文化ホール(変な名前)

聞きに来てください。
横断幕とか持って。


実は僕も合唱部のOBなのだけど、男子校だったし随分少ない人数でやっていたように思う。
そもそも僕自身が練習に出席した記憶が少ない。
ひとパートに一人ずつで四部合唱をこなしたようなことは覚えている。

合唱部は今、盛り上がっているらしい。
部員の一人、指揮者志望のマエストロが牽引役を勤めている様子。
ここのところ舞台続きだという。
各界で活躍するOBと共同して、単独の演奏会までできるらしい。

今度のNHKコンクールはピアノが必須だとかいうことで、声をかけて頂いた次第。


曲は「いのち」、鈴木輝昭作曲、谷川俊太郎作詞。
バイオを全面に標榜している一方で、金属製のパズルみたいな、無機質な手ざわりの音楽。
知恵の輪系。

鈴木輝昭作品は合唱コンクールの課題曲の定番らしい。
先生は、元をたどるとフランスのデュティーユ(発音しにくい。)の流れを受けているらしい…ということにする。演奏のとっかかりのために便宜的に。

クラシックのピアノの世界はふつう、過去の人物の作品を勉強していることが多いので、基本的にギトリスがどう弾いても自由。
少なくとも、それでベートーベンに怒鳴られることは、まずない。

一方で、現在も活躍中の作曲家の作品を弾かせてもらうのは、勝手が違う。
たとえばNコンは、日本放送協会のコンクールなので、何かの拍子に作曲した先生が茶の間で学生の演奏を聴く羽目になって泡を吹かないとも限らない。


ここのところ、器楽の伴奏は慣れてきたけれど、そういえば合唱の舞台は未経験だった。
ピアノの音質と合唱のボリューム感はケンカをしないので、共存共栄ができそうに思う。


音声や動画の視聴ができるNコンサイトはこちら。
うまいのかどうか分らないのだけど、模範演奏。
http://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/kadaikyoku_h.html

2010年7月30日金曜日

録音の試行錯誤

今年の頭くらいに、下のような文章を書いたのだけど、Bloggerのブログ記事には音声ファイルはアップできないことが分かったので、お蔵入りしていました。
最近ふと思い出して検索していたら、「いまさし写真日記」さんに、求めていた情報を見つけたので、折角なので再チャレンジすることにしました。
感謝。

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「録音は最良の教師である」と誰か有名なピアニストが言っていたと思う。
けど、出典が分からなかった。

一念発起して、「録音先生」に弟子入りしようと思った。

録音媒体代表の、CDに使われている録音方式は、リニアPCMレコーディングとかそんな名前で呼ばれているらしい。
その方式の中にも、bit数とか周波数によってまたいくつか区切りはあるらしいけど、よく分からない。
要は他の方式に比べて、データを圧縮しないで記録できるということではないかと思う。

録音手段代表の、最近のICレコーダーは、持ち運びに便利なのとPCと簡単にデータのやりとりができるのがうれしい。
安価なものでもリニアPCM方式を用いていて、だから多分、高級なマイクとか使うと、それなりに良い音質が録れるんだと思う。
個人でCD作るとか、簡単にできるようになったわけだ。
その完成品の用途があるかは別として。

それと、マイクは、すでに完成されている技術らしいので、昔のものでも高品質のものはそのまま使えるらしいということも分かった。
これから気をつけて歩くと、道ばたに一本くらい高級マイクが落ちているかも知れない。

ICレコーダーを持っていないので、仕方ないからiphoneを使う。
こっちの録音性能もよく分からないけど、少なくともICレコーダーには劣るんだろうと思う。

ただ、リニアPCMで録音するアプリケーションもiphoneには用意されているらしい。
へえ。
有料なので、買ってないけど。


今回アプリケーションは、デフォルトの「ボイスメモ」を使ってみた。
マイクは内蔵のものを使った。
ステレオではなくモノラルらしい。
ファイル形式は.m4aで録音するらしい。
よく分からない。
音質は、アプリを介さないのでiphoneに可能な音質の最低のラインということだろうけど、少なくとも割と簡単にPCに取り込めるのはありがたい。
何しろ初期投資ゼロで、録音先生のレッスンが受けられる。








何かの参考になるかもしれないから、音源をここに上げておきます。
無害だし。
演奏の巧拙は問わないで下さい。
あれ?でも、MP3に変換した時点で、もう何も考えなくて済むような音質になっているのかしら。

こういうの詳しい人、教えてください。

2010年7月28日水曜日

デザイン変更

やる気のあるところを見せたいと思ったので、デザインを変更しました。
いつの間にか、Bloggerのデザインの、種類が増えていました。

急に替えると、amazonのリンクの背景色が目立って変、とかいろいろ起こりますが、徐々に改善したいと思うにとどめます。

2010年7月25日日曜日

「蟹工船」

中学生の頃聞いて、へんな名前だなあと思った。なんとなくポリゴン系のCGを思い浮かべていた。
「コウセン」の部分が要因だと思う。


「蟹工船」も、「異邦人」のところで書いた「販促用コピペ書評」をつけて平積みされていましたね。
「ワーキングプアなんて、蟹工船じゃないか」、みたいな内容だったと思う。


学校の教科書に出て来るような名作なのだけど今更になって読んだ。

文体を料理に例えるならチャーハンだと思う。
仮名が米で、漢字が具材のつもり。

船長よりも権力を発揮する「監督」と、それに酷使される労働者がいて、労働者がいかに団結、反抗していくかが流れだと思うのだけど、労働者の決起が失敗する所で物語が終わっている。
資本家の手先である「監督」の、権力と、身体的な弱さとのギャップ、それから、労働者の鬱憤と無策が、物語の緊張感をそいでいると思うけど、やるせない感じは高まる。


先週ベトナムに行って、社会主義という単語を意識して以来、政情の違いとか、社会理念とかに遅まきながら興味を持てるようになった。
著者の小林多喜二は、二十九歳で官憲に虐殺されたとある。

「赤化」、「露公」、「国富」とか、冗談ではなかった時代があるということを、今の東京の片隅でどう考えたら良いのか良く分からないけど、意味付けそのものに意味がなくなったような物の見方から一度離れるには面白いと思う。
北国の荒波を思い浮かべて涼しくなれるかといえば、そうでもないけど。





「蟹工船」、小林多喜二、1929年。

2010年7月19日月曜日

三分でホーチミン

縁あってベトナムのホーチミンに行って来たので、旅のチップスをメモしておきます。
知らない土地に初めて行く時に、必要な情報をさっと仕入れるのは意外と手間がかかる。


○空港
ホーチミンは、西の中華街「チョロン」と、東のパリ植民地「サイゴン」が連なった双子の街。
中心部の北側に国際空港がある。
成田から六時間くらい。直行便はJAL、ANA、ベトナム航空あたり。
ベトナム航空が一番安くて、5、6万で往復できる。
しかもフライトアテンダントの人たちがアオザイを着ているのでかっこいい。
入国審査の係員がとても無愛想で、異国情緒を味わえる。
メジャーどころのタクシーに乗った方が良い。
(ヴィナ、ヴィナサム、マイリンなど)
ただ、メジャーどころのタクシーも、空港に着いたばかりのお上りさんに対しては、一概にぼったくるものらしいので粘る。
ちなみに、市街中心までの相場は400円。


○食事
下痢を心配する人が多いけど、自重したのもあって、結局おなかは壊さなかった。
店を構えてやっているレストランは特に問題ないらしい。
水はミネラルウォーターが簡単に手に入るし、はじめ心配して避けていたレストランの氷も、製氷は工場でやっているとのこと。
扱いは少し大ざっぱだけど、ひとまずは安心していいらしい。

道ばたでやっているご飯どころは、朝ご飯からお酒まで地元の人もよく使っている。
味は不明だが、観察した限り衛生状態は良くない。
挑戦するには時間がかかると思う。

お守り代わりに持っていった薬は、

ビオフェルミン(快便剤)、
フロキシール錠200(感染症治療)
レベニン散(抗生物質と用いて腸を守る)

ビオフェルミンは念のため毎日服用した。
ヤクルトみたいなものだし。
下の二つは、今回は先達から譲ってもらったけど、場合によってはお医者さんに処方の相談をするといいらしい。

食料品は概して安い。
あと、基本的に辛くないが唐辛子は付け合わせで必ず出てくる。
発汗作用か肌が綺麗になるよ。

○交通
横断歩道は一応あるのだけど、とにかくバイクの交通量が多い。
市内はバイクが主。
車、バス、タクシーなどがそれに混ざっている。
歩道を歩いているのは主に観光客。
車道を横断するときは、バイクの波に直角に、ゆっくり歩く。
そうするとバイクの方が避けてくれる。
地元の人はこの流儀で、十車線の国道も中央分離帯のある高速も渡る。

タクシーが安い。市内はほとんど100円くらいで回れる。
でも本当は、市内全域15円で乗れるバスがいい。
クーラーも効いているし、公共交通に収まって初めて、街に馴染んだなあと思う。

バス路線と市内マップは、それぞれ100円くらいで本屋さんに売っている。
観光案内所も中心部にあって、タダで地図がもらえるけど、いい加減な図なので買ってしまった方がいい。

○人々
男性に興味はないので女性の描写だけど。
手足がすらっと長く細身で、髪の長い人が多い。

一昔前まではよく居たそうだが、街角でアオザイ姿の女性を見かけることは稀。
アオザイは、チャイナドレスの側面の切れ込みを深くして、ズボンを付け加えたもの。
切れ込みが深いので脇腹のあたりは肌がのぞいて涼しいと思う。
生地が薄いのも特徴で目の保養になるが、人の集まるお店の店員さんとか、どうも特別な事情がないと着ないみたい。
地元に馴染もうと思ったら、ジーパンにパーカーが若い女性のスタンダードらしい。
おばさんになるとパジャマみたいな上下を着る。

○治安
危ない所もあるだろうけど、基本的に安全だと感じた。
基本的に、穏やかに暮らしている印象だった。お金はない人も多いだろうけど。
ブリュッセルみたいに物乞いのおばさんもいない。大聖堂にはいたけど。
お財布も、落としてそのまま立ち去らない限り、なくならない。


写真の整理のために書こうと思ったのに間に合わなかったので、後日あらためるつもりだけど、まずは更新することに意義があると思うことにする。

ベトナム版ウォッカを買って来て冷やしています。
飲みに来てください。

2010年6月5日土曜日

本は買って読め

知っている人には常識なのかも知れないけど、こういう便利なものが巷にはあるそうです。

□Libron
bibliwo
□amazon cross book check

何かというと、ブラウザにインストールすることで、Amazonの書籍検索でついでに図書館の蔵書検索もできるというもの。

発見して喜んだものの、僕のパソコンの環境で使おうとすると、FirefoxにGreasemonkeyなるものを入れないといけないし、Google Chromeはインストールできないし、良く分からないものは苦手なので敬遠していました。

ふと思い立って見直したら、LibronがFirefoxのaddonsに加わっていたので早速使ってみました。

図書館の蔵書が見つかると、予約ページにすぐ飛べる。
なんと便利な。

Libronしか試してないけど、3つそれぞれ特徴があったと思う。
大雑把にいって、Libronは図書館ひとつずつしか検索できないのに対して、bibliwoは複数の図書館の蔵書検索ができる。一方で、bibliwoは基本的に公立図書館が専門で、大学の図書館とかは対応していない。
Amazon Cross Book Checkは実はアマゾン以外にも使える。

というようなことを比較しているブログなどもあってとても参考になったのですが、数ヶ月まえの調べものなので、詳しい状況は変わっていることと思います。

それにしても、無料なのが嬉しい。
制作者の努力と懐の広さに感謝。

2010年6月2日水曜日

見上げることにした

ひょんなことで久しぶりに学校の友人に会って、僕のブログについて言及してもらったので、生存確認もふくめて継続して書いていきたいと思う。
いくつかネタを書きたいのだけど、順番に消化しようと思うとなかなか進まない。


この歳になってあれだけど少しの間、本屋さんにアルバイトでお世話になった。
世の中は出版不況だそうだ。
作家がいて、編集者がいて、デザイナーもいて、印刷屋さんがいて、流通業者があって、小売店のレジに立っていた僕は不況業界の末端と言える。

僕の働いた所は、売り場面積も狭すぎず広すぎず、チェーン展開の規模も中くらい。
書籍については、できる人になれる本と巻くだけでやせる本、
雑誌で言えば、付録が豪華なファッション雑誌と韓流のイケメン写真集が主な売れ筋だと考える。
もちろん、日本人がみんな忍者だと考えるくらい誇張されたブラックユーモアとしてであるけれど。

客によっては悪態をつきながら買っていくわけで、そんなの読んで面白いのかしらと恨めしく思ったりもする。
でも例えば、服に詳しい人から、ユニクロばっかり着てないで誰それのデザイナーの入念な手仕事を愛でなさいと言われればそれは困る。軍資金もかかるし。
当座の必要を満たすことが重要なのだと思う。

Amazonに飲み込まれてるし、ipadだって出てくるし、小売店は何か特別にアピールしていかないと難しいのじゃないかと思うけど、当日の新聞の書評欄だって店の誰一人網羅できていないんだからしょうがない。

本屋のアルバイトは時給も低い。
しかも、お局みたいな中間管理職が何人か居て勝手に人のタイムカードを扱うので、バイトなのに毎日サービス残業がある。
賃金不払いは二年後までなら、不払い金額に付加金と遅延損害金を加えたものを請求できるそうだ。

当座の日銭を稼がせてもらって特に怨恨がのこるわけじゃないけど、人件費を賄えない業界というのは体質的に不健全なんだよと建築系の友人が言っていたのを考えた。


ひとこと加えると、「最底辺」というのは、一方的にさげすんだ見方をしているのではなくて、僕を雇ってくれる側の人が自嘲気味に言っていたセリフの由。


2010年5月26日水曜日

群馬県のソロコンテスト

ソロコンソロコンという風に略称するらしい。

吹奏楽のソロコンテストに、フルートの伴奏で登場します。
お弁当を寄付したいとか、栄養ドリンクを差し入れしたいとかいう方は、当日連絡ください。
朝から晩まで、6人分きっちり弾いてみたいと思います。

5月29日(土)みかぼみらい館   小ホール
6月13日(日)ベイシア文化ホール 小ホール

群馬県吹奏楽連盟
過去の審査結果から弁当の注文票まで、申請書類がなんでもダウンロードできるウェブサイト。

ソロコンの予定とか経緯とか募集案内とか、軟弱な情報は載せたくないのか硬派な内容。
ダウンロードできる審査結果は、全員分の氏名と金銀銅3段階評価が一覧になっているんだけど、こんなに赤裸々にさらし者にしなくてもいいじゃないか、と思う。
金賞の人のところに伴奏者の名前も入れてくれれば、仕事がふえるのに、と思う。

群馬県西部地区吹連
群馬県の吹奏楽連盟は県内を三つにわけて運営しているらしい。
予選もこの三つの区分けで行なわれる。
高崎市を含むのが、西部地区らしい。

「あまり当てにせずご利用ください」と断り書きのある、なんとも腰の低いサイト。
当日のタイムテーブルなどもダウンロードできるけど、こちらは個人名一覧はパスワードがかかってました。たぶん伴奏者の名前はないけど。

2010年3月19日金曜日

常磐線の鈍行

福島県の田村市に行って来た。

僕の所属する研究室がまちづくりで関わっている地域で、研究室からフェードアウトしている人間が意気込んで単身乗り込むのも妙なものではあったけれど、どうあれ、遠足は気分も晴れるし、なにより「打ち合わせ」という大義名分がある。

田村市は、郡山から鉄道で数十分、単線のディーゼル車が走る磐越東線の沿線にある。
新幹線をあわせて2時間程で東京へのアクセスがあり、2地域居住の取り組みも模索している。
たしかに、通勤費に目をつぶれば都内で働いても週末は田舎でのんびりという生活ができる立地。

今回は、切符代をけちって鈍行列車で行こうと思った。
自宅の最寄り駅から、五時間半で着くらしい。
さらに路線図を見ていたら、常磐線経由なら太平洋沿いを走ることが分かった。
海が見えるに違いない。
貧乏旅行はテーマが大事だと思う。


四時半の電車で上野駅に向かった。
朝方の上野駅のホームは、闇に包まれた静寂のうちにエスカレーターの自動アナウンスが無数に響き渡っている。
いい趣味していると思う。

水戸行きの常磐線に乗りこむ。
発車前の車内は、グリーン車の料金案内のアナウンスが爆音で流れている。
ホームに続いて、少し気分がぐったりした。
JRは放送案内が好きらしい。

それでも朝のがらりとした電車は、走り出すと快適だった。
四人掛けのボックスシートを独占して愛婆弁当を広げると、旅情もあって一人盛り上がる。

千葉を抜けると見晴らしも良い。
途中、恋瀬川という細い川が見える。
別になんともない川だけど、テンションが上がっているので字面を見て一人喜ぶ。
この辺で雲の合間から朝の日光が差し込む。
「天使の梯子」とか言うけど、もさっとした男子学生が喜んでも今ひとつかもしれない。

水戸の手前で、偕楽園の梅が少し見えた。
水戸駅の貨物ターミナルの手前の崖に洞窟のような穴があって、ドラクエを思い出す。

水戸で、「いわき行き」に乗り換える。
しばらくはベッドタウンが続く。
乗客は高校生か、日経新聞を手にしたサラリーマンが主で、雰囲気が大分変わる。
車両もボックスシートではなく、山手線のような平行配置の座席。

日立で企業戦士たちが降りると車窓の田園の眺めもあって再び旅情が高まる。
このあたりで念願の太平洋が見えた。
たっぷり眼前に広がるといった風ではないけれど、水平線やら浮かぶ船やらを垣間見ることができる。
東海道から見える海よりも、東北の方が何となく異国情緒があっていい。

常磐線は聞き慣れない名前の駅が多い。
「勿来」が特に気に入った。「なこそ」と読むらしい。
かつての国境とのこと。ひらがなの「いわき市」に吸収されるには、惜しい地名だと思う。

いわき駅で磐越東線に乗り換える。
立ち食いそばとか食べたかったけど、どこもターミナル駅はなんとなくよそよそしくて落ち着かない。
ディーゼル車は眠って過ごした。
途中、雪が舞った。

かりんとう饅頭を忘れずに買って帰ったけど、実家の家族に好評だったのは幸い。

前回の田村行きのブログから流れた時間を思う。

田村 その1
田村 その2
田村 その3

2010年3月1日月曜日

ワセオケ「おさらい会」

内輪ネタですが・・・。
内径の問題はあるにせよ多かれ少なかれ。


ワセオケのおさらい会に伴奏で呼んでもらったので、集客に協力しようと思います。

チェロパートは3月2日、箪笥で、マチネーらしい。
クラパートは3月5日、アバコで14時開演。
フルートパートは3月9日、箪笥でした。で、17時開演。

 チェロではブラームスのTrio1番の1楽章を。
今回はデジタルな演奏を模索中。
目標は、健全で明快なブラームス。
音符が多くて難しいのもあるし、三人でお互い聞きあわないと曲にならない。
そこが楽しいのだけど。
ソロと伴奏であれば、最悪でも追従すれば良いのだけれど、トリオは当然デュオより複雑に主従が入れ替わるので、逃げ道がない。
オーケストラで、うじゃうじゃいる演奏者をまとめる指揮者はあらためて偉いと思った。
 演奏の出来は、午前中に別の伴奏合わせとかしてたら少し意識が漫然とした感はあったんですけど、はったり演出力でカバーできたと思います。

 クラは、ブラームスのSonata「ナイトゥのテーマ」。
こちらはどんな演奏になるか未定。
しかし、ブラームスの室内楽はハズレがない。
どれも粒ぞろいだと思う。
なかでも、このクラリネットソナタは晩年の傑作らしい。
いつも、どれかひとつの楽章しか出来ないので、消化不良の感がある。
いっぺんに全楽章弾いてみたいところだけど、共演者の都合があるので仕方ない。


 フルートはミヨーのsonatine。
ミヨーは多作の人だったらしい。
この曲はわりと丁寧に書かれているように思う。
笛のパートもそうだろうけど、ピアノパートは技巧的で、聴きばえする反面、演奏の難易度が高い。
しかもJazzyなリズムが曲者。
目指すはランランの高揚感なのだけど、どんな高みも目指すのは自由に違いない。
最近、「フランス6人組」に興味があったから、よい巡り合わせだと思う。


まだサークルに顔出してんのかよ、とか言わずに、OBの人は聞きに来て一緒にお酒飲んでください。



2010年2月20日土曜日

「出版業界最底辺日記」

「出版業界最底辺日記」
エロ漫画編集者「嫌われ者の記」
塩山芳明著、南陀楼綾繁編、ちくま文庫、2006年


久しぶりに新品の文庫本を買った。
ネットで買ったので、まだ誰も開いてないはず。
新品は、ページをめくる度にぴりぴりと頁の下の部分がはがれていって、良い音であると知った。

エロ漫画を雑誌にして出版することを生業とする編集者の、日常のあれこれが日記のかたちで書かれている。
予備知識がないのと登場人物が多いのとで、関係図がよく分からないが、どうも編集というのは印刷の会社と原稿を描く漫画家と、その間を行ったり来たりして、更には双方の仕事に対して監督責任があるらしい。激務だ。
文体がごちゃごちゃしていて読みにくいけれど、結局、全部読んでしまった。
現場の生臭い雰囲気がストレートに伝わる。
エロ漫画は「抜きどころ」を提供するのが主眼だろうけど、本書から、万事ただ脱げばよいというわけではないと分かった。
エロい本ではないですので期待の方向にご注意。

何が面白いかは編者が前書きに書いてあるので、特に気に入った一節を。

「新聞は『朝日新聞』、本は岩波新書で、雑誌は『文藝春秋』のアブノーマル一家の悪臭!! 
←本当は買ってるくせに、いつも駅で捨ててる、『週刊実話』も家に持ち帰れよ。
真っ当な一家になれるかも」

(p.171)



2010年2月18日木曜日

一浪一留

この前はじめて、見ず知らずの方から、このブログにコメントを頂戴した。
自分と同じ興味関心をもつ人がいるだけでも僥倖だが、それを伝えてくれたのがなんとも幸いだと思う。
ありがとうございます。


最近、アルバイトを探すために何枚かの履歴書を書いた。
履歴書に並べて書くと、なかなかの高学歴だった。
ただ、浪人して留年して就職先もないことを思えば、世間的にはうれしくない状況だろうと思う。
立身出世に熱心な旧友たちが僕の立場に置かれたら、すぐに胃を痛めるに違いない。

そういう観点から最近の交友関係をみると、どうも片寄って出世欲のない人間が集まりつつある。
特に、専門学校時代あたりからがそのような傾向が強い。
就業意欲が湧かないのは、大手に勤めたり銀行に勤めたり士業を目指したりという連中が身の回りに少ないおかげかもしれない。

卒業して3年フリーターしてから、そういえば建築がやりたいと言い出した建築科の同級生とか、田舎からの仕送りで儲からない学問ばかり考えながら独身貴族みたいに趣味にいそしむ同級生とか、ヨーロッパに留学して建築やったけど喫茶店のオーナーになってコックに毎朝食事を作らせるという同級生とか、小学生より長いこと大学生やってカラオケで一芸を身につけた同級生とか。

ここまで書いて気づいたけど、大学生始めてから8年間になる。学部生2回分だ。
こんなことなら、大学なんか入る前に音大を済ませておけば良かった。




本屋さんの平積みのコーナーを見るに、デキる人になりたいと多くの人が願っている。
それは真理だけど、「要するにかわいい女の子とデートしてうまいものを食べて楽しく生きたいと思っているだけである。」というのも真理だと思う。

「村上朝日堂」という村上春樹のエッセイに出てきた一節だ。
前に「うずまき猫」のエッセイの感想文をブログに書いたけど、「朝日堂」の方が今の僕には面白い。

「うずまき」と「朝日」の違いは、コンチネンタルブレックファーストと、みそ汁の関係に相似できると思う。
コンチネンタルブレックファーストは洒落て聞こえるけど、みそ汁のほうが自分の肌に合うという、分からない喩えだけど。
それで、みそ汁の方は、「日刊アルバイトニュース」という雑誌に連載していた文章らしいから、今の自分はまさに読者層の真ん中にいると考えられる。

今書いて気づいたけど、コンチネンタルブレックファーストってすごく長いカタカナだけど、「大陸朝食」なんだろうか。
こういう十把一絡げな表現はだいたい島国根性の悪意があるんじゃないかと邪推した。

村上春樹の若い頃は、学生結婚をしてアルバイトに打ち込んで奥さんの実家に居候して、企業に勤めても仕方ないから自分でカフェを開いて口を糊していたらしい。
ご本人もアルバイト情報誌の購買者層には親近感をもっていたと思う。

この二冊は、出世欲のない友人の1人が貸してくれた本だけど、その人はおそらくハルキ的な生き方を体現していくんだろうと思う。
後年なにか賞でも取って車でも楽器でも買ってくれないかと期待している。

骨のある連中に囲まれて、相変わらず、緊張感も闘争心もなく閑居している。

暇をしている状態が体臭となって人に伝わったのか、昔やってたサークルの、面識のない後輩が立て続けに伴奏のお誘いをくれた。
ピアノってどうしても1人で弾くことが多いから、合奏の誘いは、いつもらっても嬉しい。

2010年2月6日土曜日

土偶展

上野の国立博物館で「国宝土偶展」やってます。
土偶しかありませんけど、土偶がいいです。

お客さんがみんな和やかに見えました。
土偶と睨みあった成果だと思います。

イギリス帰りの展覧会だそうで、いつもより少しお洒落になっています。
ああ、さわってみたい、土偶。

元気がほしい時は、どうぞ。


東京国立博物館「土偶展」

2010年2月2日火曜日

飲食の嗜好

お酒といえば麦酒と考えていたのだけど、最近、ハイボールにハマっている。
炭酸の軽い口当たりも良い。
甘みがまた良い。
また、特に疲れている時などは、ビールのように苦みがないので、身体にスムーズに取り込まれる気がする。
小雪さんのイメージも、味に影響しているような気がする。
CMの効果は大きい。
ちなみに、おぎやはぎのお二方も出てるんですね。


お酒も好きだけど、甘いものもよく嗜む。
この前、たけのこの里を食べた。
サクサクした食感が、長年売れている秘訣の一つだと思う。
ただ、パッケージがかわいすぎて、男性諸兄はあまり縁がないのではないかと思う。

「Men'sたけのこの里」なんてものがあればなあと余計な心配をしながら、電車の中でついばんでみた。


ところで、ポッキーのウェブサイト、メンズポッキーのコーナーは何やら物憂いジャズが流れておりました。

「うずまき猫のみつけかた」

村上春樹、新潮文庫、平成十一年

 とくに早稲田の文学部生にとって、「村上春樹」は、たぶん建築の学生でいう「安藤忠雄」に近い。
軽々しく好きだというと、笑われそうだけど、ちゃんと読んでおかないと、また笑われる。
というと、もっともらしく聞こえる。
実際は知らない。


 友人が貸してくれたので、エッセイを読んでみました。
この本は、帯に書いてあったけど、「小確幸」を見つける毎日を、さらさらと書いたものと思う。
アメリカのボストンに住んでいる時の話が中心らしい。
文中にカタカナ語とヨコ文字の作家が多い。
例えば手持ちぶさたで、気のきいたものが読みたいときで、講談社学術文庫とか読みたくないときにちょうど良いと思う。


 個人的には、村上夫人による写真が、たいそういい。
大平正芳に似ている(誰だか分からなかったけど、かつての総理大臣らしい。)猫の写真が特にいい。
僕の交友関係で、猫好きが3人思い浮かんだ。
2人は熱狂的な愛好家で、1人はむっつりである。

 じつは、僕は猫とコミュニケーションがとれない。
自分が猫系の行動を取る(自分勝手な)せいで、それに付き合って遊んでくれる犬の方が僕には合うらしい。


 本の出版年はなんとなく西暦な気がしていたけど、新潮文庫は年号で書かれているのを初めて知った。




2010年1月30日土曜日

鍋の会


鍋の会をしてみました。


来てくれた人、ありがとうございました。
招待されたのに料理を自分で作る理不尽に、良く耐えてくれたと思います。

主菜は、鳥団子のちゃんこ鍋でした。
セロリの炒め物はおいしいんですね。

また、主な議題は、体毛とむだ毛を剃ることと衣服を纏うことの効率についてでした。


これに懲りなければ、定期的に試みようと思います。


宴の席での小道具のひとつ。
明和電機のオタマトーンです。
http://maywa.laff.jp/blog/2009/08/post-9249.html

持ち主は買ったっきりで、ほとんど触ってないのです。
久しぶりに音が出せて、彼らも満足そうな顔をしています。

2010年1月27日水曜日

束縛と上納金

無粋なたとえ話だけど、たしか、誘拐事件の心理分析か何かで、被害者が犯人にこれ以上危害を加えられないと分かった時に、犯人に感謝の念を抱くことがあるらしい。


携帯電話の機種代金の、24回ローンがもうすぐ終わる。
長年愛用していたNokiaの、二台目である。

Nokiaは、使い勝手が良い。
使用方法を考え込まなくてもいいのがうれしい。
よく分からないけど妙に高性能なカメラで、一応音楽も聞けるし、旅行中も大活躍だった。


残念なことに二台目のNokiaには初期不良があった。
振動で電源が落ちる。
僕は常にマナーモードなので、電話の着信を受けても振動でシャットダウンされて、着信履歴にも残らない。


携帯電話の機能を果たしていない気がするので、販売店に持って行ったところ、店員さんの前で問題がなければ問題がないという解答をもらった。

お客さまは神様じゃないのか、とも思った。
しかし、認識の点では、全く正しい理論である。
僕には、問題があるが、店員さんには、問題はない。
見解の相違というだけで、店員さんが間違っているわけではない。

この論破は、鬼ごっこのルールをくつがえすより難しい。
少なくとも、文学部でなく法学部に任せたい。

こういうとき、だいたい僕の持ち物は、生みの親に味方する。
昔、ゲームボーイの充電器が接触不良を起こした時も、修理を願い出たおもちゃ売り場の店員さんの前ではなんら支障無く作動した。
子供心にゲームボーイを恨めしく思ったわけである。


じゃあせめて機種変更すれば良いわけだけど、携帯電話の契約は複雑な制約があって、26ヶ月だか使い続けないと、割引がなくなる。
もともとの本体価格を払わなければならないらしい。
無駄に高機能なケータイで、およそ6万円くらいであった。
解約にあたる違約金などなど、下手に解約も出来ない。
IT分野に関心の高い人たちは、このような費用を総称して上納金と呼ぶらしい。

全ては、購入の時に初期不良を指摘できなかった僕の不覚だ。
山手線では、懇切丁寧に傘の忘れ物まで教えてくれるご時世である。
しかしながら、ことケータイ業界は一転して自己責任を重んじているらしい。


そんなわけで、途中海外に居た分を差し引いても1年以上は電源の落ちるケータイを使いつづけたことになる。
内定に至らなかった就職先も、もしかして僕に電話していたんじゃないかと、邪推したくなる。

2010年1月20日水曜日

「ザ・前座修業」

「5人の落語家が語る ザ・前座修業」
稲田和浩・森田梢路 NHK出版生活人新書 2010

落語の世界の前座修業を語った本。
「特殊な社会の特殊な修業話とはいいきれないはずである。あらゆる職種での新人たちに、なにかのヒントを残してくれるはずだ。」と新人向けをうたっている。
身の不始末をなんとかしようと思っていた矢先、何か、すがるようにして買ったものと思う。

お説教の香りがして、直立不動の姿勢を強いられている気がする。
だから読んでいて楽しくはない。
それに不勉強だから、五人の落語をよく知らないのでイメージできる幅が少ない。

ただ、前々から興味のあった落語家の修業時代が、より身近になったのは確か。
寄席での前座の仕事も分かりやすく描かれている。
芸に取り組むそれぞれの姿勢の違いも面白い。
「芸は砂の山だ・・・当人は、上がっているつもりで一歩ずつ歩いていても、じつは足下から崩れていっている・・・」(円生)とか、ちょっといい。

どう読んでいいか分からないけど、例えば飲み会で年長者の意見を聞いて、ほんまかいなと思ったりもっともだと思ったり、じゃないかと思う。

帰って来たらまず寄席に行きたいと思っていたのに、行く勇気がでないまま半年。



柳家小三治、三遊亭円丈、林屋正蔵、春風亭昇太、立川志らく(敬称略)

2010年1月19日火曜日

「ヤクザが店にやってきた」

宮本照夫著 朝日文庫 2000年

人の話を聞かない人は苦手だ。
なぜなら僕が人の話を聞かないからであり、会話にならない。
腕力に物を言わせる人も嫌いだ。
昔、結婚披露宴のアルバイトで同僚に蹴られて痛い思いをした。

さて、この本はヤクザや暴力団と対峙する一介の飲食店経営者の物語だ。
想像だが、暴力団の人々は上に挙げた二つの性格を兼ね備えている様に思う。
実のところ、あるいは用心棒として、あるいは言いがかりを通じて、水商売の人々に関係を持とうと日々干渉があるらしい。

著者は複数の店舗を経営している。
いさかい事の数はそれだけ多い。
そのうちの一つだったと思うが、麻布に出店された焼肉店には、友人に招かれてお邪魔したことがある。
立地の割に安く、腹も舌も満足する店だ。

焼き肉屋さんの親分が片手間に書いたものだと邪推して、衝動買いしたものの、あまり読みやすい文章は期待していなかった。
ところが、控えめで淡々とした語り口で描き出す出来事の数々は生々しく、司馬遼太郎にも比べたいほどの躍動感があった。

ハイライトは後半の、九州太郎氏のくだりだと思うけど、この人物は関西のある暴力団のトップで、いわば著者の敵役にあたる。
ここに刑事が加わって、三者の微妙な力関係と思惑が交差する。
お互いの身分を越えて、いつしか敵役まで惚れ込ませてしまう著者の背中がシブい。




2010年1月18日月曜日

「アンサンブル自由が丘」

演奏会に行くのは好きではないけど、最近アマチュアの音楽会に行くことが多い。
プロの演奏家が、経歴について伝説の量産と思い出の美化に勤しむ一方で、アマチュアに出来るのはせいぜい腕とはったりと思い込みを磨くことである。
玄人と素人はだから実際、日常の努力の大変さに相違はなく、聴衆への感動の提供という点で上下がないと考える。
なんか最近、漢字が多い。

アマチュア弦楽合奏団「アンサンブル自由が丘」の演奏会を聞きに行った。
関係者じゃないし、人の演奏について批評するのはおこがましいが、物忘れ予防に書いておく。

昨日の合奏団は、プロのヴァイオリニストを指揮者に戴いて、私学の学生オーケストラの首席クラスの奏者が集まって結成されているらしい。
しかも「自由が丘」という地名が醸し出すように、どこか上品な暮らしぶりを想像させる演奏者の面々である。

一人一人の技術はたしかに精鋭だった。
しかも邪推ながら、社会人オケより若いせいか独りよがりな演奏が少ない分、まとまりがあり、演奏の印象は良かった。
その気合いを感じ取ってか、お客さんも満員御礼で、満喫して帰ったように見える。

メインディッシュのチャイコフスキーのセレナーデはCMで使われるほど名曲らしいんだけど、1楽章の冒頭から何度か繰り返される例の部分が、この曲の他の部分と組み合わせが悪いような気がしていた。曲の流れとしてちぐはぐな気がしていた。
今回じっくり聞いて、終楽章の最後の盛り上がりのところでああいう風に折り重なって発展して行くのか、と発見した。
なんとなく、このチャイコフスキーが演奏も一番気持ち良さそうに聞こえた。

人が楽しそうに弾いている姿を見ると、ずるいちょっと交代しろ、と思う。
弦楽器が弾けたら良かったんだけど、チェンバロとかで呼んでもらえないものか。

2010年1月12日火曜日

「異邦人」

カミュ著 窪田啓作訳 新潮文庫 1942


タイトルの、お馴染みの「異邦人」という訳語はかっこいいと思う。
この、歯切れの良い題名と、フランスの小説で舞台設定がアルジェリアらしい、とか断片的な知識をもとに、外国人が放浪する小説だろうと当たりを付けていた。

原題はフランス語で"l'etranger"だそうだけど、英語なら"the stranger"だろうから、どちらかといえばこの語感は「よそ者」とか「つまはじきもの」とか奇人変人のニュアンスが強いんじゃないか。

一時期、本屋さんの販促用コピペ書評に、「太陽のせいで人殺しをするなんて、最高にかっこいいじゃないか」みたいな紹介文があった。
正確に覚えていないので文句を言うのもどうかと思うんだけど、なんとなくこういう書評にのせられて買いたくはないなあと敬遠していた。
本棚をひっくり返したら出て来たので読んでみたが、読後も「かっこいい」については共感が湧かない。
少なくとも文中の、「太陽のせい」というのはとても有名な一節らしいとgoogle検索で知った。


この前ブログで感想文を書いたジョージ・オーウェルの「一九八四年」とだいたい構成はおんなじなんじゃないかと思う。
あらすじの前半がオープンな社会での話、後半が閉じられた軟禁の話。
実社会と主人公のあいだの溝、という主題も多分おんなじ。
ということを論じている人も多分いるだろうと思う。
ただ、カミュの方が展開が濃く生々しいお陰で、読み飽きるということは無かった。
それに、実に健康的な小説で、ストレス解消になる。
テンポ良く物語に引き込まれたし、結末の司祭に対する罵倒なんか爽快だった。
といったら気分を害する人もいるだろうけど、宗教を嫌ってはいない。

文学の世界でも音楽の世界でもそうだけど名作に手を出すとだいたい火傷を負うことになる。
手を出すというのはつまり鑑賞目的でなく演奏なり批評なりで自ら手を加えようとすることを言おうとしているのだけど、じゃあヘタなブログなんか書かなきゃいいじゃないとも思うけれどもその逡巡が勝手にできて内容に責任がないのがこのブログの利点ではある。




mixiの話題

このブログはBloggerというツールを使わせてもらっているので、mixiについて書くのはどうかと思った。
けど、このブログ自体はmixiを通して読んでくれる人が多いだろうし、なんとなく、そんな気分なので。


画面のテーマが決められるようになったらしい。
正月に旧友のホームページを開くと、何やら全体に緑がかったデザインになっていた。
別の友人のページは黒い配色であった。
真似してみたくなったが、ここで問題になるのは、普段あまり使っていない人が好みのテーマを選ぶのは出過ぎたマネなのではないかということ。
ただ、別の見方をすれば、本当にmixiを使い込んでいる人はあくまで元祖のデザインに固執する可能性もある。
そういえば、昔black googleという画面の黒いgoogleがあって、ディスプレイの明度の関係で省エネになるというふれこみだったけど、ああいう配色のi-googleが欲しい。
まだ無いんだろうか。
黒はかっこいいし照度が低い方が眼が疲れないように思うのだけど。


「アプリ」とかできたらしい。
友人の牧場に虫がわいたとかで、助けを求められている。
殺虫をしろと言われても僕は自宅のネズミの駆除にも手こずっている。
それに、最後まで面倒を見られないなら初めから手助けなんかするなと釜じいも言っている。


外部ブログと同期できるのは知っていたんだけど、twitterを同期させると、発言のたんびに新着記事になってしまって、なんとなく本来のこの機能の目的と離れるんじゃないかと思う。


と、こうやって書いてみると、文体などにmixi的空気があらわれるような気がする。
ちょうど全身ユニクロとかそういう特別な気分と近い。

僕にmixiを紹介してくれた友人はどうも結婚するらしい。
欣快の至りである。おめでとう。
友人が次々と世にはばたいて行くのを見ながら、花を買い来て相方と親しむことにする。

群馬のバス事情

かつて、「住みよい街づくり」を目指した身としては、公共交通機関に特別の思い入れがある。
そうでなくても、働く自動車と鉄道は無条件にかっこいい。
それに、自家用車=負債だと友人が言ったのは真実だと思う。
正月早々、スタッドレスをパンクさせてしまい、二万円近い出費を余儀なくされた。
公共交通なら、事故の場合でも不満を言うだけで済むのがありがたい。


さて群馬県の実家あたりは、車がなければ何も出来ない。
貧乏学生の頼みの綱は、バスである。

しかし、
1、無闇に駅前を走っているが何処を通るやら分からぬ「ぐるりん」
2、放置されて錆び付いたレトロなバス停
3、乗客の居ないまま通りゆく大型車両

という状況をみるに、大方、たぬきときつねが主な顧客だろうと思っていた。
そう考えると、「ぐるりん」の市内循環が人口密集地ではなく山間地域に向かうのは納得がいく。


群馬県バス協会「バスねっとGUNMA」

これすごいです。
なんと、各社の時刻表が一覧できる。
NAVITIMEもびっくり。


これによると僕の実家へのアクセスは、
群馬バス「安中市役所行き」、「権田行き」、ぐるりん「少林山線」の三路線あり、
20分から30分に一本くらいは走っており、
始発が上下とも7時台、終バスは上り19時台、下り21時台だということが分かった。
所要時間20分で200円。
タクシーなら15分だが1300円だし、40分かけて歩いていたことを思えば、悪くない利便性である。

ちなみに、共通バスカード「ぐんネット」も存在する。
上信電鉄、群馬中央バス
関越交通、日本中央バス
群馬バス、永井運輸
で使えるらしい。
プリペイド式で価格によって1割強の割引サービス。
県内の独自規格らしい。


寒空に、来るか分からないバスを待っていると、旅情が漂ってきます。
駆け足でバス停に向かって、時刻表と時計を確認する。
時刻が信用ならないことを思い出す。
バスが来たときの安心と、運転手が悪人の場合を想定した場合のこのまま山に捨てられるんじゃないかという不安。
なんとなく、イタリアのルーズな交通機関を思い浮かべて、和む。

乗ってみませんか。

2010年1月7日木曜日

「官能小説の奥義」

永田守弘著 集英社新書 2007年

奥手だったので、「官能」という単語の意味を理解するのは中等教育を終えるころだったんじゃないかと思う。

何しろ、漢字の組み合わせから意味が想像しにくい。
広辞苑を引いてみる。
「官能」の「官」は、1:おおやけの建物、2:太政官の略、3:役人。またその役目。・・・と続く。
人間の生理について言及されるのは、末尾の5番目である。
「官能」の「能」は、1:物事をなし得る力、2:作用、3:得意とする所・・・と続いて更に、芸能の一種や地名の略称などと説明されている。

そんな事情から、差し迫って必要な時期に、官能小説は縁遠い存在だった。
テーマについての関心は人一倍高いが、いわゆる文学作品にも濡れ場はたくさん出て来る。
世間体とプライドと需要のバランスを取りつつ、青少年期の必要を間に合わすことはできていた。

そもそも、「官能小説」は文体が特殊である。
すんなりと読み下せない。
結果として、いわば、敷居が高いということになる。

文体の何が特殊か。
まず、台詞と擬音語が気に入らない。
肝心の具体的な箇所において、登場人物たちの、例の「言葉にならない発語」の記述が安っぽいことは、音読してみれば分かる。
擬音語も多用されるが、どうも平仮名なり片仮名なりの音声がそのまま頭に思い出されて、具体的な感覚と結びつかない。そもそも小説の世界では擬音語の多用は軽視されるんじゃなかったかしら。

 一方で、本文の語彙が難しい。画数の多い漢字を組み合わせて、未知の単語で織りなされる文章は、作家たちの苦心の賜物だが、妄想を巡らして文中から情景を思い浮かべるのは読み手たちの苦心の賜物でもある。

結局、よほど努力して感情移入しないと、文章から身体的リアリティを引き出して、要求を満たすことが出来ない。

今回、この本が本屋さんに平積みになっているのを見て即座に手に取った。
著者はみずから提唱する「純官能小説」ジャンルを一万冊以上を読破したとあって、分析が鮮やかである。
豊富かつ的確な引用が多数、掲載されている。
上に書いた、特殊な文体の必然性についても触れられている。
文体が妥当かどうかは、まだ追求の余地がありそうに見えるものの、ひとまず、官能小説たちを身近に引き寄せることは確かだと思う。

名場面の無数の引用のお陰で人前では読みにくい。
立ち読みを断念し購入に至った。
さいわい新書の形で販売されている。
知識の獲得を表に掲げながら享楽を求めるという目的にも適う。

ただし、あくまで分析に重きを置いて、官能小説の魅力を噛み砕いて表現している本であるので、実用性にはかけるかもしれない。


ちなみに引用の中では、永井荷風の著と紹介される作品の一節が、すごい。

「・・・開中は既に火の如くなればどうにも我慢できねど・・・」
孫引きしてみる。

「一九八四年」

ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳 早川書房 2009年

 「読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまうという経験は万国共通らしく・・・」という文言で、「訳者あとがき」は始まる。
 また、巻末にある解説の冒頭には、「※この解説には、本書の結末に触れる部分があります。」とネタバレに対する丁寧な断り書きがある。

 以上のことから、この本は、最後まで読み通すのが困難であるということが分かるだろう。
 実のところ、読み進めるには多大の労力を要する。
 特に、物語中で禁書とされている、『あの本』の内容が記されたあたりは、何度も読むのが面倒になり、しまいには読み飛ばしながら話の本筋を追った。
 素直に話を読み進めていったとしても、後半の拷問シーンは読み手にも重荷を強いる。丁度、フルマラソンを走った直後に箱根登山を駆け足で強要されるような気分に近い。

「二十世紀世界文学の最高傑作」である。
「すぐれた文芸の発信源」を掲げた、「ハヤカワepi文庫」として発刊されている。この出版上の分類方法が、その他の、”epi”を冠さない早川文庫に駄作が多いという暗示にならないか心配した。

 SF小説の定義を知らないが、近未来SF小説っていうのはこんなイメージなんじゃないかと思う。
灰色の時間泥棒が闊歩する世界に例えられるかもしれない。
冬の寒空の東京の、例えば新宿西口あたりで読むと、感慨も深まるはずだ。永田町でもいい。
 ただ、物語の背景が特殊で精巧なわりに、舞台装置の描写がおおざっぱなので、ツッコミの得意な人には、物申したい部分が多いのではないかとも思う。
あんまり斜に構えて読むと良くない。