2010年1月7日木曜日

「官能小説の奥義」

永田守弘著 集英社新書 2007年

奥手だったので、「官能」という単語の意味を理解するのは中等教育を終えるころだったんじゃないかと思う。

何しろ、漢字の組み合わせから意味が想像しにくい。
広辞苑を引いてみる。
「官能」の「官」は、1:おおやけの建物、2:太政官の略、3:役人。またその役目。・・・と続く。
人間の生理について言及されるのは、末尾の5番目である。
「官能」の「能」は、1:物事をなし得る力、2:作用、3:得意とする所・・・と続いて更に、芸能の一種や地名の略称などと説明されている。

そんな事情から、差し迫って必要な時期に、官能小説は縁遠い存在だった。
テーマについての関心は人一倍高いが、いわゆる文学作品にも濡れ場はたくさん出て来る。
世間体とプライドと需要のバランスを取りつつ、青少年期の必要を間に合わすことはできていた。

そもそも、「官能小説」は文体が特殊である。
すんなりと読み下せない。
結果として、いわば、敷居が高いということになる。

文体の何が特殊か。
まず、台詞と擬音語が気に入らない。
肝心の具体的な箇所において、登場人物たちの、例の「言葉にならない発語」の記述が安っぽいことは、音読してみれば分かる。
擬音語も多用されるが、どうも平仮名なり片仮名なりの音声がそのまま頭に思い出されて、具体的な感覚と結びつかない。そもそも小説の世界では擬音語の多用は軽視されるんじゃなかったかしら。

 一方で、本文の語彙が難しい。画数の多い漢字を組み合わせて、未知の単語で織りなされる文章は、作家たちの苦心の賜物だが、妄想を巡らして文中から情景を思い浮かべるのは読み手たちの苦心の賜物でもある。

結局、よほど努力して感情移入しないと、文章から身体的リアリティを引き出して、要求を満たすことが出来ない。

今回、この本が本屋さんに平積みになっているのを見て即座に手に取った。
著者はみずから提唱する「純官能小説」ジャンルを一万冊以上を読破したとあって、分析が鮮やかである。
豊富かつ的確な引用が多数、掲載されている。
上に書いた、特殊な文体の必然性についても触れられている。
文体が妥当かどうかは、まだ追求の余地がありそうに見えるものの、ひとまず、官能小説たちを身近に引き寄せることは確かだと思う。

名場面の無数の引用のお陰で人前では読みにくい。
立ち読みを断念し購入に至った。
さいわい新書の形で販売されている。
知識の獲得を表に掲げながら享楽を求めるという目的にも適う。

ただし、あくまで分析に重きを置いて、官能小説の魅力を噛み砕いて表現している本であるので、実用性にはかけるかもしれない。


ちなみに引用の中では、永井荷風の著と紹介される作品の一節が、すごい。

「・・・開中は既に火の如くなればどうにも我慢できねど・・・」
孫引きしてみる。

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