2011年9月14日水曜日

青春のNHK合唱コンクール2011

本番までにブログにしようと思っていたので、舞台が済んでしまった以上、炭酸の抜けたビールみたいな記事です。出し損ねて一ヶ月。


今年も縁あって、母校の合唱部の伴奏をさせてもらえたので、NHKの合唱コンクールの群馬県予選に出てきた。

去年の課題曲は、バイオ系の知恵の輪であったけれど、今年のは、よくできた「つけめん」にたとえたい。
登場人物は「君」がいて「僕」がいて、それぞれ誰か特定の人でも抽象的な存在でもよさそうだけれど、いままで「僕」が「君」にお世話になっっていたとのことで、最近は「君」の方がなにか行き詰っているけれど、それでは「僕」も困るので「君」を助けてあげたい、ということらしい。
この詩と音楽が程よくバランスしていて、口当たりが良い、というのが今年の特徴ではないかと思う。

今年の群馬県の会場は、去年の映画館みたいなホールより音楽会の雰囲気はあったけれど、ステージに立ってみると反響が少ないのか音量バランスが取れなかった。

日頃から身の程知らずなのでボランティアの伴奏は久しぶりだけれど、そもそも演奏の専門家じゃないし、後輩の努力の踏み台になるのは、それはそれで快楽じゃないかと思う。

ところで、去年の課題曲の作曲家は赤毛のアンの主題歌も書いているんですね。
あたりまえなんだけど、モーツァルトだけが作曲家だと思ってると損をすると思い直して。

模範演奏が聞けるNHKのページ。
去年書いたやつ。

2011年7月14日木曜日

クレー

東京国立近代美術館でやっているクレー展を見た。


むかしから美術館はわりと好きな方で、ちょっと気取ったおばちゃんたちの会話を盗み聞きしてみたり、趣味の良さそうな若い美人に見とれたりするために頻繁に通っていたのだけれど、ここのところ行かなかった。

久しぶりに行って、美術館に何を求めたか反省してみた。
だいたい美術館に行くと、胃腸のことを考えたり、無精髭の剃り残しを爪で引き抜いたりしている。
あとで、一緒に見に行った人に「あの絵がどうこうだった」と言われても、何も覚えていないことが多い。

それでもなお、足を運ぶのは、なぜか。

無責任でいられるところじゃないかと思った。
というのは、たとえば僕がクレーをボロクソに言いたいとして、こんなのは子どもの落書きだ、とか、ののしってみたとして、クレーの絵に対する社会の評価をこれぽっちも損じない。
定評に対する安心感もしくは判断からの開放と名付けてみたい。

例えば、クレーは「色彩の画家」だそうである。
最近習ったところでは墨の色にも五彩あるそうだし、色彩と疎遠な画家がいるのかしらんとか思うが、特に「色彩の画家」度合いが強いものだと納得したい。

しかしながら会場には彩色前のスケッチか、くすんだ色ばかり並んでいる。
鑑賞中の熟年紳士が、「どこが色彩の画家なんだ」と隣の奥さんにつぶやいていたけれど、そう思ってもいい受け手の自由度が、美術館の魅力かもしれない。

もう一つ言えば、企画展より常設展の方が落ち着く。
良く知らないけど、企画展は何かの趣旨がある。
今回のクレー展なら「おわらないアトリエ」で、製作過程が分かるのかも知れないけれど、なんか新しいことを知りたい、と思うのはどちらかと言えば熱心な向学心のある人に限られることで、展示の順序に沿うのは本を読むと同じ努力が必要になる。
ただちょっといい絵が飾ってあってぼーっと眺めるだけ、という時間もわるくないように思う。
東京近代美術館の所蔵品の展示にもクレーが何枚か飾ってあるみたいで、椅子に腰掛けて眺めることができるのも嬉しい。

二週間くらい前に見に行って、わざわざ後から書くようなことでもないんだけど、ひとり言なので害はないと思う。

2011年5月31日火曜日

『カーマウに行ってきました』

タイトルのようなクッキーが、お土産屋さんにありはしないかと思ったけれど。


カーマウは、南北に長いベトナムの中でも、南端の省で、他と比べれば南国の風情があるんじゃないか。
中学校で習った米どころメコンデルタを横断だか縦断だか、ホーチミン市から直線距離で250kmほど。
国道1号線をひたすら南下して車で片道7時間の道のり。

メコンデルタの無数の川を横切るのだけれど、古くからの集落は川沿いに集まっている。
地形が平坦でほぼ水面と同じなので、橋だけが高く盛り上がっている。
橋と道路の継ぎ目に必ず段差があるのは、自動車の減速のためでもなさそうだけれど、何か整備上の都合があるのかもしれない。
川を渡るごとに集落がある。
いわゆる「親水性」抜群の住居群。あとは、屋上のテレビのアンテナが印象的だったけれど写真がない。



道中、国道沿いにはパーキングエリアが充実していて、およそ数十メートルおきに存在する。
たぶん同業他社の競合という概念がなくて、延々と続く「宿」みたいなもんだろうと思う。
店は大体簡易な造りで、間口一間くらいのグリッドの柱にそれぞれハンモックがあって、長距離旅行者がくつろいでいる。
ベトナム語で「ブン?」とかいうと教わったけれど、どう書くのか分からない。



これを飲みました、というだけの話です。


このお店はバナナの木か何かの南国の葉で編んだ屋根と壁、パターンに飾り気はないけれど、丁寧と言ってよいはず。
もちろん沿道には、他にいくらでも現代的な建物が並んでいるけれど、吹けば飛ぶような施設しか持たない経営も、気持ちが良いようにも思う。

途中、日本製のカントー橋を通る。


見晴らしが良いので、公園のごとく人々がバイクで来て佇んでいる。
夜なんか、若者たちがすごいかもしれないけど、さぞ暗いだろう。


カーマウの市内はこのような具合で、説明がなければおそらくベトナム人にもどこの街だかわからないんじゃないかと思う。

ホーチミンと同じ配色のバスが走っているが、帰宅時間なのか超満員。
これもホーチミンと同じデザインの、ペンギンゴミ箱。
ゴミ箱の口が車道に向いている。
歩行者なんぼのもんじゃ、のバイク仕様。


特徴があるのは川で、海産物が有名だそうだけど市場が非常ににぎわっている。
ちょっと前まで国道も細くて、こうやって物が動くのは川だけだったかもしれない。
一見するとスラムだが、市内でもっとも潤っている地区のはず。


市場の写真。海産物が山盛り、野菜も山盛り。
食堂の野菜の鮮度もホーチミンより良い様子。



川沿いの闇市みたいな一群のほうは賑わっていて、すぐ隣の公共の市場の建物が見事に空っぽになっている。
小さな舟で運んでくるので、接岸してその場で売っちゃうほうが楽には違いない。


感謝して食べるしかないアヒルたち。

はじめに、ホーチミンから車で7時間と言ったけれど、日帰りでの往復は大変だった。
飛行機なら一時間ほどで着く。

2011年3月28日月曜日

ホーチミンでミサ

きのうは日曜日だったので教会に行ってみた。
敬虔ではないので拝まれるほうは迷惑かもしれないが拝むことに抵抗はない。



初めてホーチミンに来た時、観光地ど真ん中の大聖堂に入って、ほっとしてしまったのは、ひとえに、「見たことある」というやつだと思う。

キリスト教が広まったのは植民地時代のあとなんでしょうか。
異国への布教活動の原動力が何だったのか、詳しく考えると難しそうだけど、少なくとも植民している人々の、異境の淋しさみたいなものは教会で紛れたはず。

広めるほうと受け入れるほうの力関係の結果なのか、とにかくカトリックは今でも南ベトナムに根付いているらしい。





昨日入ったのは、宿の近くのTân Địnhとかいう地区の教会。
外壁がピンクだけれど、他に比べて、かなりクラシックで大人しい形。







建物の内部は、扇風機が回って、通気性も良い。

他に大画面モニターと、内陣というのか祭壇の上の方にネオンが光っているのが、なんとなく人々の興味関心を反映しているのかもしれない。

なんにせよ、盛況というのか、参列者は多くて、ミサの時間は教会をぐるりと駐輪バイクが取り巻いている。





キリスト教について知らないけど、お説教する人と参列する信者がいて、時々パイプオルガンと一緒に合唱したりしながら進行する雰囲気は、ベトナムでもベルギーでもあまり違わない。

当然だけどベトナム語で、中丸明みたいに言えばベトナム語はみゃあみゃあ言う言葉なので、ちぐはぐしているのが面白い。



2011年3月27日日曜日

ベトナム行きJALでノルウェイ

初めて乗ったJALの、ホーチミン行きの飛行機で、『ノルウェイの森』を見てしまった。
思わず見入ってしまう映像だと思ったら、この前見た『夏至』と同じ監督だった。
『夏至』の時はストーリーがあってないような映画だったからぼんやりと見ていたけれど、分からないなりに監督それぞれの持ち味というのはあるんだろうと納得した。

Trần Anh Hùng監督は、ローマ字のヘンな記号を見ても分かるとおり、ベトナム人で、ベトナム行きの道中で見るなんて、というのをただの偶然と見るか伏線と見るか、後者の方が楽しい。

wikipediaによれば監督は青年期以降はフランスにいたみたいだし、個人と国とは別問題だけど、ベトナム映画が熱くなってくれたら面白い。

『ノルウェイ』の主役の、サンバを踊らない方のマツケンにのめり込んでいる女友達がいて、グーグルで見たら眠そうな顔した人だなくらいにしか思っていなかったけど、ぐっと来た。
劇中の人となりも、脳裏からはなれない。
予告編のセリフにある、「ややこしい場所に運び込」まれた感じがたまらん。
他にも、「直子」の「初めて」のところがもう大変に気に入って、とか思ってたら女優・菊地凛子も普段の写真は全然違うので、二人の見事な役者っぷりにびっくりする。
付け加えると監督自身もかなり男前です。

村上春樹は前も書いたけど早稲田の文学部では建築でいうところの安藤忠雄で、おおっぴらに崇拝すると笑われるけど読んでないともっと笑われる。
恥ずかしながら文庫が分厚いから読んでない。
「原作を読まずに映画を見るなんて」とも思うけど、映画を見て原作を読みたくなるのもいい出会いだと思いたい。
ハマりやすい方だけど熱中すると消耗する性格でもあるから、思いとどまる努力をする。


そんなわけでまたホーチミンに来てしまった。


映画『ノルウェイの森』HP



2011年3月3日木曜日

初代macbookproのHDD"感想"

古いけどまだ使ってますよ、というだけの事を、世界にむけてアピールしよう、という記事。
HDDを替えようと思った人の参考になるものではない。
なので、作業の参考にしたリンクは下に載せました。


僕の使っているパソコンは、よく知らないけどIntelのCPUが最初にmacに導入されたころのもの。
卒業論文を書くのに、なんとなく自分のパソコンが欲しくて買ってみた。
よく考えれば、携帯電話でも論文は書けたかもしれない。


で、初代macbookproというらしいけれど、この機種は売り出してまもなく、次の機種に代替わりしたようである。
多分、Intel積んで、売り出してみて色々改善点が見つかったんじゃないか。

ともあれ、それで「型落ち」になってたのを少し安く買いました。
いわば試作品だから、貧乏くじとも言えるけれど、5年近く不便なく使っているので不満はない。
最近また新しいのが出たし、もう何世代経ったのか分からない。


そんなわけで古いんだけど、HDDが元々の80GBで、メモリを一枚、足したきり、お金をかけずに使ってきた。
使い始めてしばらくしたらHDDの容量が足りなくなった。
外付けに移したりして、ごまかしていたのだけれど、やっぱり足りなくなった。
仕事中に聞く落語とか、そういう消せないものばかりになって、限界を悟ったので、出費を決意した。

OSも10.4のままだし、付属アプリケーションも最近のものは便利そうである。
でも本体を新しく買い替えるお金はない。

メモリとHDDを買ってごまかすことにした。
他に部品もあわせて、全部で1万円しない。
これであと5年使えれば、すごい。
HDDを交換するのは難儀だそうだけど、前にファンを掃除した要領とたぶん同じだろう。


ちなみに、ご存知の通りアップルのパソコンは、トルクスドライバーなる専用の工具が必要で、基本的に開けてほしくない構造らしい。

まだ部品交換で使えるとしたら、買い替えさせるのは「エコ」じゃないけど、例えばそれである会社の新製品が売れなくて失業者が出るとなれば、どっちが果たして人類によくない事なのかわからない。


前にメモリを買ったのは本体と同時で、その当時たしか1万円くらいした。
今や、同じランクが2千円にまで下がっている。

こういうのはナントカの法則で説明できるという。
説明できるかもしれないけれど僕のお財布が納得できるかどうかは検証されていない。
文明の進化に犠牲はつきものであるが、昔の出費より、いま安くなっているという事実の方がありがたいと思うのは不思議。
こういうのもナントカの法則で説明ができるはず。


買ったのは、日立の500GBの2.5inchの5400回転と、Transcendの1GBのメモリ。
自分で書いてて良く分からないが、そういうものだそうだ。
ハードディスクは、SATAでつなげて大きさが2.5inchで厚さが9.5mm、という基準が分かったけれど、メモリの方は最後まで選び方が良く分からないまま買った。
SODIMMというのとDDR2の200pinというのがキモらしいが。
同じメーカーでどうも同じ形式らしいけど値段が違ったり、奥が深い。
無事に刺さって良かった。

HDDの中身は、CCCを使ったので、換装後もいままで通りの環境でスムーズに使えている。
そう書くとますます分からない。

今回の作業は、HDD付け替え、ファンの分解、メモリ追加で、二時間弱。
カバーのネジを外し忘れたまま無理に開けようとして、危うく本体を破壊するところだった。

ねじまわしが使えてパソコンに思いやりがあれば、作業自体は特に難しい話ではないし、予備知識もいらない。
なんとなく文明の利器の内側をのぞくのは楽しい。



HDDだけ取り出してみると、とにかく小さい。
ポケットティッシュより少し大きいくらい。
この中に、論文から音楽やら映画やら昨日のおかずまで全て入っていると思うと、まったく不思議である。



そんなわけで、交換作業でお世話になったウェブサイト。

冷却ファンの掃除http://isi.kicks-ass.net:8080/isi/bakilog-2.0/macbook-pro-fan/view
HDDと光学ディスクドライブhttp://ascii.jp/elem/000/000/352/352409/

2011年3月2日水曜日

「10宅論」

世の「建築家」にはそれぞれ、デザインのモチーフのようなものがあって、安藤忠雄なら打放しコンクリートだし、黒川紀章なら三角錐だろうし、妹島和世ならのっぺりした白い空間、ということに落ち着くんじゃないかと思う。
素人目には、使い回しじゃないかと思うんだけれど、おそらく、建築家の人たちは意図的に、この「またかよ」を楽しんでいるはず。



それで、この本は、隈研吾という建築家の人が書いている。
隈研吾は、シマシマが好きな人だと言って間違いない。
設計する建物は一様にシマシマがついている。

このシマシマを、同級生は「隈印」と呼んでいた。
その同級生によれば、「所員ががんばって設計した建物に、隈印(シマシマ)をつけただけじゃん」ということだけれど、今になって思うには、所員が働くのは当たり前で、ボスの努力はもっと孤独なものであると想像する。

それはまあとにかく、材木とかなんかそういう長細いものを、良く分からないけれど綺麗にばらばらに並べているのが「隈印」だろうと思っている。
勿論、風が吹いて飛んだりはしないと思う。


本の中身は、題名通り、住宅の本である。
住宅の住まい方を通じて、各年齢層の人々の暮らしぶりや嗜好までが観察されている。

おおざっぱに言って、建築家の文章の胡散臭さは、勢いと説得力にあるんじゃないか。
「本当にそうかなあ」と考えるいとまを与えない。
疑うひまがないので、あとから、本当だっただろうかと思う。

この本も、前書きから、思想史の偉人たちの業績をバランス良く散りばめて、しかも分かりやすく簡潔に書かれている。
興味をそそるし、しかも流れるように展開して行く。
だまされやすい性格なので、テンポ良く飲み込まれることを警戒した。

安藤忠雄とヴィトンはなぜすごいか、クラブのママと理想の妻の関係、とんかつ屋でなくてデニーズに入ってしまうのはなぜか、独身貴族が高価な椅子に憧れる理由、そんなあたりが、なんとなく分かる。

文章も面白いし、ところどころにある図面と表が笑える。


マンガみたいだと思うけれど、建築家が書いたために、あとに続く人たちは、仕事の手間が増えて頭を抱えているんじゃないかと思う。
門外漢としては、もっともらしくうなづきながら、笑って楽しめばいい、ということにしている。

2011年2月23日水曜日

ワセオケ笛OBOGおさらい会

例によって、おおやけの演奏会じゃないんだけど、宣伝せよ、との主催者の命なので、以下のテンプレートの通りです。


僕も半分部外者だけど、厚かましいので余興までやることになっている次第。



===もらったテンプレ===

◆ワセオケフルートパートOBOGおさらい会2.26
♪日時
2011年2月26日(土)
開場12:50
開演13:10
終演15:40予定
♪場所
スタジオ・ヴィルトゥオージ
(新大久保)
http://blog.livedoor.jp/virtuosi/

==============

高名な先生も顔を出してくださるし、80席も客席があるそうなので、入りにくいでしょうが皆さん来てください。
当然、入場無料だと思うけど、個人的には菓子折りなど甘いものは好物です。


ちなみに、地図はこちら

スタジオのウェブサイトには大久保駅、新大久保駅どちらからも徒歩5分、とあるけれども不動産のチラシといっしょで、感覚的には多分、もうちょっと辛抱が必要。

2011年2月12日土曜日

「指揮者の仕事術」

実はピアノを弾くのが好きで、それを多分に鼻にかけるところがあるのだけれど、指揮をやっている先輩や友人が身近にいないというのは、まあ今の自分の限界をあらわしているのかもしれない。

ヴァイオリンとかフルートとかピアノとか、唯我独尊の楽器というのは色々あるけれど、指揮者はその上に君臨する。
しかも、楽器は一人でも続けられるけれど、指揮をやっていますといっても、指揮者は自分で音を出すわけじゃないから、アマオケなり吹奏楽なり何らかの楽団と接点がない人というのは少ないだろうと思うので、「指揮者」である、ということは一つのステータスだと思う。

もっとも、「アームチェアコンダクター」という呼称もあるくらいだから、エア・指揮者というのも、ちゃんと社会的に認知されてはいると思うが、それはそれとして。


そんなわけで指揮者の事情が良く分からないので、テレビを見ても演奏会を聴いても、なぜ彼らがあそこまで熱心に棒を振るのか、無知だったのだけれど、この本を紹介してもらったので、勉強してみた。
例によって感想文をつづる。




指揮者の使う笑い話の持ちネタの中でも「人生を棒に振る」人々というのは、かなりポピュラーな様子。
とにかく、音を出すために棒を振る人々だと言える。


指揮者は、ライヴの演奏会でこそ本領が発揮される。
不測の事態に備えているらしい。

オペラの本番なんかは、指揮者が何人もいるらしい。
舞台の死角に影武者がいて、歌手のど忘れを回収しているとのこと。

CDの録音に慣れ親しんだ批評家は、生演奏の「ミス」について辛辣だそうだけれど、演奏会とは、そもそもファインプレーの連続じゃなかろうか。
ホルンのソロもすごいし弦楽器のアンサンブルも真似できない。
できて当たり前という厳しい意見もいいが、一段飛んで思うに、プロ野球と同じように、飲み屋でビール片手に楽しめればいいと思った。


文体は、「ですます調」で一貫して書かれている。
学部のとき大学の先生が、なにかの本を評して、「『ですます調』がわずらわしいですが良い本です」という言い方をしていたけれど、たしかに大量の「ですます調」というのは読みづらい。
つまり、語尾が伸びた分、よけいに目を動かさなきゃならないから時間がかかる。

例えば、こうなる。

「きっと茄子なのではないかと考えられるということが言えるのではないでしょうか。」
「きっと茄子だ。」

読みやすさはさておき、敷居は低く、かつ読み応え十分な新書本だと思う。
知らないうちにグレゴリオ聖歌から調律法からリズム感まで会得できる。

楽曲の解説もいくつかあって、主に、

「んジャジャジャジャーン」
「んあ、んあ、んあ」
「お風呂おいで」

などが登場し、他にワーグナーの「ローティーンらしい物騒な話」が取り上げられている。
よほど関心がないと何度聞いても頭に入らないので、噛み砕いてくれてうれしい。


書き手ではなく売り手の意志だと思うけど、「あなたの仕事にも役に立ちます」という前ふりは、それは読み手が自分で判断すればいいことだし、その本を読んでいる時点で読み手は既にそういう期待を持っているので、前置きでもう一度読ませるのは蛇足じゃないかと思う。
売り手の趣味なら帯にでも書いておいてくれればいいんじゃないか。

第一、自分の仕事を効率的に進めるために「スキルアップ」に努めようというスローガンは建前であって、とどこおりなく月給が振り込まれれば文句がないというのが、書籍の購買層の大半を占めるんじゃないかと思う。
そんなわけで、内容に比して「仕事術」という軽いタイトルは損をしていると思うけれど、どう変えたらいいかはまだ思いつかない。

2011年1月29日土曜日

ぶらりビエンホア


ビエンホア市の写真も載せたい。

前回、ビエンホア市は大宮だ、と書いたけれど、実は工場の街川崎でもある。
名前も聞いたことなかったけれど、国全体で見ても重要なポジションを占める。
ホーチミンから車で一時間弱、ドンナイ川という川をまたいで、市街地に着く。
前回ちらと書いたけど鉄道があって、ドンナイ川を渡る橋は鉄道と道路の併用橋で、エッフェルさんが建てたと地元の人は言っていた。真偽は別として、時代的にはその頃のものだと思う。

鉄道も単線なので、車は交互通行しかできない。待機中の写真。

ぱっと見、近代的な街なのだけれど、一本裏に入ると、魚の養殖なんかもしている。
川魚は甘辛く煮て、美味。

橋は3本しかないので、残りは船で渡る。その方が小回りが利くし、船は気分が良い。

ここでもバイクは多勢を占める。
ホーチミンほどではないが、幹線道路は常に怒濤のバイクが駆け巡る。
どこに向かっているかは定かではないが、日本人よりも移動の多そうな気配ではある。

ただ、住宅地に一歩入ると、静かである。
緑も多く、常夏なのに涼しい。
とんでもなく騒がしい国だと思っていたけれど、実は日々ゆったりと暮らしている様子。

そして驚くべきは、これ。
ポンペイ風ハンプと呼んでみたい。バイクの速度を落とすハンプらしい。
路地の要所要所に設置されている。
住宅地の交通政策は日本より進んでいるのかもしれません。



ビエンホアの市場はこんな感じ。

ほぼなんでもある。ベトナムの食生活は海から山まで肉も野菜も全て揃っている。
主食はご飯、麺、パン、調理方法も鍋から揚げ物から、飽きることはない。
市場は屋外なので、ドライブスルーも可能。駐車場料金の心配もいらない、か。


バイクはあらゆるものを運ぶけれど、これは珍しいタイプではないかと思う。
カメラを向けたら、2人とも笑ってくれたけれど残念なことに写ったのは後ろ姿。

以下は余談ですが書いてしまった。

スカイアクセス線に乗ってみた。
スカイアクセス線は北総線とも言うらしい。どっちやねん。

スカイツリー、スカイアクセス、スカイライナー。
「スカイ」という言葉になんとなく古き良き昭和を感じるけれど、このふたつは会社が違うから今の時代の趣味なのかもしれない。

空港から日暮里まで一息なのが嬉しい。
圧倒的に近くなった。
しかし、特急料金の1200円は少し高いんじゃないか。
1200円はベトナムの通貨でおよそ240,000VNDで、大人三人が酒食に溺れることができる。
ビールの一本も飲ませてほしいところだがすぐ着いてしまうので飲んでいる時間はない。

実は同じ路線で特急券の要らないタイプの電車も走っていて、所要時間は10分しか違わないらしい。
10分が1200円。
勝手の分からない外国人と僕をまるめこんで搾取しようという作戦かと邪推した。

新しい路線と新しい車体で、速度がでるのはいいが、よく揺れる。
嬉しいことに電源があるのだけど、PCを使うにはもう少し揺れない方がうれしい。
ポジション的に、JRがちゃんと作った方が良かったんじゃないかと新幹線を見て思う。
と愚痴をこぼしつつ、往復とも乗ってしまった。

何に憤慨しているのか自分でも良く分からないが、そんなわけだけれど、ベトナムは間もなく旧正月のお祭りとなるらしい。

お正月と旧正月のお屠蘇気分
ぶらりビエンホア
去年のホーチミン

以下は、たいそう参考にしたサイト。
ベトナムの通貨ドンのレート
ベトナム語辞書(早く更新再開してほしい)
東京外国語大学のベトナム語モジュール
あとはお馴染みGoogle翻訳が非常に便利で、漢文が嫌いじゃないなら、ベトナム語から日本語はだいたい意味がとれる。

2011年1月26日水曜日

お正月と旧正月のお屠蘇気分

ひどいタイトルですが。



学校の学期末の試験の勉強は一般に、机の整理整頓に始まり、本棚の整理整頓に終わる。
ブログを書こうと思う。



二度目のベトナムに行ってきた。
ベトナムの大阪ホーチミン市と、その隣町のビエンホア市。
ちなみに、ホーチミン市からビエンホア市へは車で1時間ほど。
道中の半ばにある遊園地は、上の本の表紙を飾っている。
おおよそ万事、こういうところである、と書いた方が面白いから書くけれどそうは思っていない。

前回のホーチミンの記事でサボって省略した旅行写真の記事を、いくつか載せたいと思う。サイゴンから西に向かった中華街、チョロンにあるチョロン市場。
よく見るとマスク、の写真。センスは様々だけれどとにかく身なりに気を使う。

ホーチミンは、旧正月を迎える。新宿駅より品があるイルミネーションの目抜き通り。
位置付けとしては銀座だけれど。クリスマスもあって一応西暦の新年も祝って旧正月で、日本みたいに、宴会が続いているのではないかと思う。



勝手知ったるホーチミン。
ひた走るバイクの波を、シャンゼリゼを歩くように優雅に横切ることができるまでになった。

今回判明した事実によると道路は、人、四輪車、二輪車の順で優先順位がついている。
だから、作法に従っている限り、混雑した大通りも車にひかれることはまずない。
ただ、ヒエラルキーの一番下っ端の二輪車は、よく事故に遭うらしい。
危ない。

ベトナムの道路は、黄色信号のイメージに近い。この場合、関西方式ではない方の黄色信号を指す。
あんまりうまい説明ではない。



次の記事はビエンホアの写真を掲載する。
ビエンホアってどこやねん。
と思ったけれど、カタカナで検索すると意外とたくさんの日本人ブログが発見できます。
ベトナム統一鉄道に乗るのが目的で訪れました、というパターンがあった。
新幹線に乗りたいと子どもが言ったのでとりあえず大宮に、というような、分かったような分からないようなポジションの町かもしれない。

お正月と旧正月のお屠蘇気分
ぶらりビエンホア
去年のホーチミン

2011年1月1日土曜日

謹賀新年



本年もどうぞよろしくお願いいたします。

前回の投稿から間があいてしまいましたが、駄文を綴る、ささやかな満足を続けていきたいです。


今年のおみくじは、

「色や酒に溺れるな」
「この人より他になし」
「安心して勉学せよ」


精進します。
           2011年元旦