2010年9月11日土曜日

「地域再生の罠」

久繁哲之介 「地域再生の罠」 2010年 ちくま新書

 大学の所属する研究室は「空間計画」をかかげているし、僕を雇ってくれたのは「都市設計研究所」なので、「ご専門は」と聞かれたら、そのような領域です、と答えるしかない。
もちろん、業績や実力や情熱を不問の上で、と言いたいのだけど、肩書きと本人は常に乖離するものだと思う。


 それで、上にあげたのは、地域再生について、「土建工学者」の「成功事例」のお粗末な実態を暴くという痛快な本。
 土建工学者とは、建築、土木、都市計画、都市工学の専門家たちを指すそうで、多分に敵意が込められているんじゃないかと思うけれど、批評の第一歩は好悪の感情の高まりだと思うので仕方がない。


 「成功事例」として「視察」のメッカに祭り上げられたいくつかの地方都市を、著者の「体感」から分析する。
 行政マンや専門家の言う「成功」と、市民の感じる「衰退」、評価の差はなぜ生まれるのか。
それは、地方再生にかかわる人々の、それぞれの立場、思惑のずれによるらしい。


 たとえば、大型商業施設が長く定着しない宇都宮で109の撤退をあげて、提供者側の「中高年男性」と消費者側の「若い女性グループ」の見解がひどく食い違っていることを原因に分析する。

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1、あのデブ、何聞いても「少々お待ちください」しか言えないし。
2、ていうかぁ、デブが着てもはちきれそうだし。
3、ていうかぁ、マルキュウに百均あるの、おかしいし。
4、大根売ってるし。
5、超むかつく、今度ホンモノ行こ。
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(21頁抜粋)

 ところで、専門家も、悪意があって施策を失敗させているわけではないと思う。
専門家の人々にも事情はあるんじゃないか。
現場に入っていくのに相当の時間がかかること、効果が見えにくいこと、ついてまわる労働量が膨大であること、苦労した数少ない案件を学術成果とせざるをえないこと、などなど。

 それに、ここから先、劇的な対処策がないことについては、著者も敵陣も、懐具合はかわらないだろうと思う。
それを悲観するかどうかは別として、ひとまずは手を動かすところからはじめたいと思う次第。


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