2010年1月12日火曜日

「異邦人」

カミュ著 窪田啓作訳 新潮文庫 1942


タイトルの、お馴染みの「異邦人」という訳語はかっこいいと思う。
この、歯切れの良い題名と、フランスの小説で舞台設定がアルジェリアらしい、とか断片的な知識をもとに、外国人が放浪する小説だろうと当たりを付けていた。

原題はフランス語で"l'etranger"だそうだけど、英語なら"the stranger"だろうから、どちらかといえばこの語感は「よそ者」とか「つまはじきもの」とか奇人変人のニュアンスが強いんじゃないか。

一時期、本屋さんの販促用コピペ書評に、「太陽のせいで人殺しをするなんて、最高にかっこいいじゃないか」みたいな紹介文があった。
正確に覚えていないので文句を言うのもどうかと思うんだけど、なんとなくこういう書評にのせられて買いたくはないなあと敬遠していた。
本棚をひっくり返したら出て来たので読んでみたが、読後も「かっこいい」については共感が湧かない。
少なくとも文中の、「太陽のせい」というのはとても有名な一節らしいとgoogle検索で知った。


この前ブログで感想文を書いたジョージ・オーウェルの「一九八四年」とだいたい構成はおんなじなんじゃないかと思う。
あらすじの前半がオープンな社会での話、後半が閉じられた軟禁の話。
実社会と主人公のあいだの溝、という主題も多分おんなじ。
ということを論じている人も多分いるだろうと思う。
ただ、カミュの方が展開が濃く生々しいお陰で、読み飽きるということは無かった。
それに、実に健康的な小説で、ストレス解消になる。
テンポ良く物語に引き込まれたし、結末の司祭に対する罵倒なんか爽快だった。
といったら気分を害する人もいるだろうけど、宗教を嫌ってはいない。

文学の世界でも音楽の世界でもそうだけど名作に手を出すとだいたい火傷を負うことになる。
手を出すというのはつまり鑑賞目的でなく演奏なり批評なりで自ら手を加えようとすることを言おうとしているのだけど、じゃあヘタなブログなんか書かなきゃいいじゃないとも思うけれどもその逡巡が勝手にできて内容に責任がないのがこのブログの利点ではある。




2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

大学に入って初めて書かされたレポートが『シーシュポスの神話』だったこともあって、『異邦人』は確か学部一年のときに読んだんだ。

ミルクコーヒーではなくてカフェ・オ・レと訳すような新訳は出ないものだろうかと思う。

そういえば、ここでも死と性愛は近い所に並べられているのだね。
田舎の山で、墓場とラブホテルが隣同士にあるようなのは、存外にフランス的な意識と通じるものがあるのかもしれない。

toyobe1984 さんのコメント...

カフェオレ、てのはたしかにありだね。
一般的な知識で分かる範囲のフランス風のものは、フランス語片仮名にしたほうが雰囲気が出るみたい。
翻訳の難しいところだろうけど、この片仮名をやりすぎると、ついていけなくなる。
すんなりイメージできる異国情緒みたいなところが心地よいんだろうね。

そういえばラブホテルってのは日本以外にもあるんかな。
韓国とかタイとかどうなんだろう。