2009年6月26日金曜日

他人の情事

他人の情事に、何度か出くわしたことがある。
はからずも、だ。
回数にして、たぶん、両手に収まるくらいの数。

直接その場に居合わせたり、痕跡だったり。
最中の当事者も、赤の他人だったり、知り合いだったり。
雑魚寝の安宿で出くわしたことが多かった。
全ての場合に共通だったのは、僕は気づいてはいない、とされている、もしくはそう望まれている、ということだった。
「狸寝入り」という技を覚えておいて良かった。

文化によって、公共の場で許されるスキンシップの度合いは違って来るのだろう。
公然とキスをすることは日本では許されないが、パリなら素敵な光景、ということになる。
ここで僕の話しているのは、情事そのものだが、行為をオープンにしている文化はあるのだろうか。
安部公房の「砂の女」のクライマックスのひとつに、住民がしきりに男女に行為を催促する場面があったと思う。そのあとどうしたか忘れたけれども。

日本は、本音と建前で持っている。
情事なんて、家庭や学校では存在しないものとして扱われているようにも思う。
じゃあせめて、隠れてやってくれよ。

3 件のコメント:

かば さんのコメント...

たしかに、優しさとやらしさは、紙一重だよね。

arei さんのコメント...

みうらじゅんの本でトン祭り(とんでも祭りの略、だったと思う)を集めたのに、他人の情事を舞台で見せる、っていう祭りが載ってた。日本の。

あと、もらってどうするのコレ…っていうお土産を嫌げモノというらしいよ。

しかしお土産問題には頭が痛い。

toyobe1984 さんのコメント...

>かば
そうじゃないよ。

>arei
見たいかどうかってのが重要なのよ。
見たい時に見られるのは、有難い行いだけど、
見たくない時に気づいてしまうのが、嬉しくない。

「嫌げもの」ってのも、まあ記憶には残るよ。