「コウセン」の部分が要因だと思う。
「蟹工船」も、「異邦人」のところで書いた「販促用コピペ書評」をつけて平積みされていましたね。
「ワーキングプアなんて、蟹工船じゃないか」、みたいな内容だったと思う。
学校の教科書に出て来るような名作なのだけど今更になって読んだ。
文体を料理に例えるならチャーハンだと思う。
仮名が米で、漢字が具材のつもり。
船長よりも権力を発揮する「監督」と、それに酷使される労働者がいて、労働者がいかに団結、反抗していくかが流れだと思うのだけど、労働者の決起が失敗する所で物語が終わっている。
資本家の手先である「監督」の、権力と、身体的な弱さとのギャップ、それから、労働者の鬱憤と無策が、物語の緊張感をそいでいると思うけど、やるせない感じは高まる。
先週ベトナムに行って、社会主義という単語を意識して以来、政情の違いとか、社会理念とかに遅まきながら興味を持てるようになった。
著者の小林多喜二は、二十九歳で官憲に虐殺されたとある。
「赤化」、「露公」、「国富」とか、冗談ではなかった時代があるということを、今の東京の片隅でどう考えたら良いのか良く分からないけど、意味付けそのものに意味がなくなったような物の見方から一度離れるには面白いと思う。
北国の荒波を思い浮かべて涼しくなれるかといえば、そうでもないけど。
「蟹工船」、小林多喜二、1929年。
1 件のコメント:
伊藤整の「若い詩人の肖像」っていう小説に,小林多喜二が少しだけ出てきます.接点は多くないんだけど,作者には鮮烈な印象が残ったようです.
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